「J-23日本」逆転で韓国撃破!手倉森ジャパンがリオ五輪に弾みをつけた!
こんばんは~ 篠原です。
皆さま、昨夜のサッカーはご覧に
なっていましたか?
私はブログを書きながら観ていたの
ですが、夜中に主人が大声出して
隣近所中に大声が響いたのではないか
と思います。
そのくらい興奮した試合でした。
宿敵、韓国を劇的な逆転劇で
日本3-2韓国で破りました。
2点を追う後半22分に途中出場の
FW浅野拓磨選手、23分に
MF矢島慎也選手の連続ゴールで
追いつき、36分に浅野選手がこの日
2点目となる決勝点を挙げて優勝!!
因縁の相手だった韓国は2014年の
仁川(インチョン)アジア大会の
準々決勝で敗れ、ロンドン五輪でも
3位決定戦で敗れ、世代の垣根を越えた
永遠のライバルでした。
リオ五輪出場を決めて日本は祝賀ムード
だったけれど、この韓国戦で、勝と負ける
とでは、そのムードが一変する重要な
一戦で、並々ならぬ決意がありました。
韓国のシン監督は、「日本の選手交代が
試合を変えたのは事実だ。その点で私は
日本の監督に敬意を示したい。
彼は試合を一変させる手腕を発揮した」
とコメントして、采配を的中させた
手倉森監督を称賛したのでした。
試合後アジアサッカー連盟は
大会最優秀選手賞(MVP)中島翔哉選手
フェアプレイ賞にU-23日本代表が選出
されました。
フェアプレイ賞を受賞した日本は今大会
6試合で計7枚のイエローカードを受け
ましたが、退場者や累積警告による出場停止
処分を受けた選手はいませんでした。
試合が行われたカタールのドーハは、日本に
とって、1994年アメリカ・ワールドカップ
に向けての最終予選で、最後の最後に出場の
望みが絶たれた悲劇の舞台です。
当時は「ドーハの悲劇」と言われていました。
今回は韓国にとっての忘れられない舞台と
なりました。韓国の新聞は「ドーハの衝撃」
と伝えました。
2得点して優勝に導いた「浅野拓磨」選手
は、常に家族思いで、「この喜びと感謝を
一番に家族に伝えたい」と言っています。
こんな素晴らしいことを言う浅野拓磨選手は
どんな環境で育ったのでしょうか?
7人兄弟の3男で、高校卒業までは
両親と9人家族で生活をしていました。
父親はトラックの運転手で、7人の兄弟が
いるため、金銭的にも苦しく、他の家庭に
ない厳しさを感じていたそうです。
遠征費などでお金のかかる四日市中央工高
に入学するとき、迷っていた自分に
「行っていいよ」と両親が背中を押して
くれたそうです。
その時
「プロになりたい」ではなく「ならなくては
いけない」という気持ちになったといいます。
気持ちが折れそうになったときや、ゴールが
決められなかったときなどは、家に電話を
することで元気が出てくるし、又頑張ろうと
いう気持ちになれるそうです。
プロになって両親に車をプレゼントする
ことができ、一つの親孝行ができたけど、
僕は親孝行するためにプロになったと
思っているからまだまだですとのこと。
生活が苦しいと感じるときもあったけど、
違う家庭に生まれていたら、僕は絶対にここ
まで来られなかった。
サッカー選手として成長してもっと恩返し
をしていきたい。と言っています。
どうしてこんなにも親思いの素敵な子ども
が育つのでしょう?
私の孫もサッカーをやっています。
今日も「ライオンズカップ」とかで試合
でした。
残念ながら、準決勝でPK戦で、孫が
外して負けました。
号泣していました。
いつも両親がくっついて行って、ぬくぬく
とした環境でサッカーをやっています。
浅野選手との違いを痛切に感じます。
「手倉森ジャパン」リオ五輪に向けて
ますますの成長を期待しています。
目指すは「金」
がんばって下さい!
読んで頂きありがとうございます。
失礼いたします。 篠原香代