「青木功」 旭日小綬章 ・男子ゴルフで3人目・ゴルフ界では4人目!
こんばんは~ 篠原です。
プロゴルファー青木功といえば、ゴルフを
なさらない人でも、知っていることと思います。
その青木功が、2015年秋の叙勲で
「旭日小綬章」
に選ばれました。
スポーツ振興における功労が称えられました。
男子ゴルフ界での叙勲
1991年・安田幸吉=勲三等瑞宝章
この二人に続く三人目の受賞となりました。
女子では2014年に樋口久子が
文化功労顕彰を受けています。
1942年8月31日生まれ
千葉県我孫子市で誕生
プロ転向は1964年
7年後の1971年に「関東プロ」初優勝
1976年に初の賞金王
1978年より4年連続賞金王に輝いています。
2004年・世界ゴルフ殿堂入り
2008年・紫綬褒章受章
2013年・日本ゴルフ殿堂入り
今回の受賞決定は、これに続く栄誉になります。
コメント
「これからもゴルフを通じて社会貢献、
ゴルフ界の役に立ちたい」
「こみ上げてきて、何も言えない」
と感無量の表情で続け
「世界の青木」と呼ばれることに
「世界の青木じゃない。ゴルフだけやってきた青木」
とゴルフ一筋を強調して、今後の目標を
「1日でも長くゴルフができるよう体を鍛えて、
みんなの目標になれるようにしたい」
40年に及ぶ確執の果てに電撃和解
一時はジャンボ尾崎と言えば、勝利を重ねて
名前の聞かない日がないほどだったのですが、
近年は、ほとんどその名前を耳にしなくなりました。
2014年の5月のこと、ゴルフ界の2人の
レジェンドが突然の「歩み寄り」をみせたのでした。
まるで磁石のN極とS極のような人生を送って来た
二人が、ホールアウト後に、にっこりとほほえんで、
固い握手を交わしたのでした。
がっちり手を握る二人の姿に、会場からどよめきの
声があがったのです。
それ以来、コース内外で火花が飛び散るような、壮絶な
バトルを繰り広げてきました。
1990年の5月に、ジャンボ尾崎が勝利した大会の
ゲスト解説を務めていた青木が「ジャンボおめでとう」
と声をかけると「そんなもん、強いもんが勝つのが
当たり前だ!」とぶっきらぼうに言い放ったのでした。
その時、青木は顔を紅潮させて「それじぁ、次の試合で
どっちが強いか決着をつけよう」と果たし状を
たたきつけたのでした。
次の試合で、青木が優勝しました。
試合後、ジャンボ尾崎は「コースを造るアホにプレー
するアホ。同じアホなら刻まにゃ損損。こんなチマチマ
したコースやってられない!」と吐き捨て、問題に
なりました。
投資などの副業にことごとく失敗して、30億円以上の
生涯獲得賞金を失うことになります。
そして、40年余りに及ぶ二人の確執は、落ち目の
ジャンボ尾崎に青木が手を差し伸べて電撃和解と
なったのです。
終了後ジャンボ尾崎は青木に「ありがとう」と言って
消え去るように会場を後にしたそうです。
話がそれてしまいました。
「ゴルフは私の人生」
と言ってのける青木功さん
「旭日小綬章」おめでとうございます。
読んで頂きありがとうございます。
失礼いたします。 篠原香代