kayoとdackyの日々の出来事と旬な話題

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「なかにし礼」再発ガンからの生還!食道ガンを克服して三年、再びガンとの闘い!

こんばんは~  篠原です。

皆さまは、小説家・作詞家のなかにし礼さん

を、ご存知と思いますが、今年二月に「食道がん

が再発したということを、公表して手術をされたこと

は、私も知っていましたが、その後何の音沙汰もなく

何も耳に入ってこなかったので、とても心配でした。

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というのは、丁度同じ頃でした。

主人が、食道がんを宣告されました。

だから尚更、なかにし礼さんのことは、とても気になって

いました。

主人の場合は、胃がん検診で引っかかって、精密検査を

した結果、「食道がん」を告知されたのですが、

なかにし礼さんも、三年前、全く同じで、「胃がん検診」

食道がんが見つかったそうですね。

 

幸い主人の場合は、初期の「食道がん」だったので、

内視鏡切除術」で済んだのですが、今年3月にそれを

やりました。同じころ、なかにし礼さんも手術をしました。

 

なかにし礼さんは、2012年に、「食道がん」が

ステージⅢで発見されたとき、過去に2度心筋梗塞

患っているので、医者の言う手術をすると、

自分の心臓は耐えられないと思ったそうです。

 

それでネットで「陽子線治療」を調べて、その治療をした

結果、完全にガンが消滅したということでした。

3ヶ月に一度、定期検査を受けていましたが、今年1月に

受けた検査で異常があり、改めて精密検査を受けました。

 

食道横のリンパ節に「ガン」が発見されました。

陽子線治療でガンを克服してから約2年半が過ぎた

時でした。

 

インタビューでこのように言っています。

一度がんを患った身としては、「いつかはこういう

事態に直面するのではないか」という漠然とした

不安がずっと頭の片隅にありましたから、

PET-CTの画像で鮮やかなピンクレッドに染まった

患部を見せられた時には、「ついに来たか」

という心境でした。


ガンという大きな魔の山は、一歩足を踏み入れたら

容易には抜け出せません。しかも上り詰めて、

「征服した」と思っていても、さっと風が吹くや否や、

目の前に新たな頂が迫ってくることが少なからずある。

ガンというヤツは外から移ってくるのではなく、

自分の体内から生まれてくる悪性の腫瘍ですから、

「やっつけた」と思っても、いつまたその姿を現すか

分からない。そういう油断のならない存在です。

 

2度目のガンも、なかにし礼さんは、「陽子線治療」を

希望していました。

 

ところが担当医からの答えは

「今回のがんは確かに早期のがんです。しかし、

問題のリンパ節は、前回の食道がんの治療の際に

30回も陽子線を当てた場所なんです。

そこにさらに陽子線を当ててしまうと過剰照射に

なってしまい、他の器官を傷つけることになりかねない。

ですから、今回は陽子線治療ができないのです」

担当の医師は、続けてこう説明しました。

「リンパ節のがんは、いまもどんどん成長していて、

気管を圧迫しています。もしも、成長したがんが

気管の壁膜を突き破る『穿破』という状態になれば

ほとんど即死です。とにかく一日も早く入院して、

すぐに手術する必要があります」

状況は、なかにし礼さんが、思っていた以上に

切迫していたのです。

 

そして医師と相談した結果、身体に負担の少ない

「胸腔鏡」で手術をして、胸腔鏡でガンが取れなかった

場合は開胸手術になり、胸腔鏡だと2時間、開腹手術

だと4時間を超えると説明され、開胸手術になった場合

心筋梗塞により、心臓の半分が壊死している状態なので、

4時間には耐えられるけど5時間は無理でしょう。

ということは、手術中にを落としてしまうかも

しれないと、その時、否応なく死を意識させられた

そうです。

そして2月20日、DJを務める『明日への風』の

収録のとき、3月上旬に放送予定の番組で、ガンの

再発と番組の一時休止をリスナーに伝えることに

しました。

 

ラジオでの告白や携帯メールと写真の削除をして

「死に支度」をして手術にのぞんだそうです。

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手術の後、集中治療室で意識を取り戻した時は、

背中の痛みとともに生きているという喜び

噛みしめて、担当医に「ガンは取れたのですか?」

と聞くと「取れませんでした」という返事。

 

リンパ節のガンが気管支にびっしりと張り付いていて

メスを入れれば、気管支を突き破ってしまう状況だった

そうで、手術時間4時間19分で、ガンは取り除け

なかったけれど、生還することはできたものの、

危ない状況は何も変わっていなく、手術前より深刻な

状況になっていたそうです。

 

いつ死が訪れるかわからないと宣告され、

「一日一日をどう生き延びるか」

「1週間単位で人生計画を立てて下さい」

と言われていたそうです。

お辛かったと思います。

 

今度は、気管支にへばりついているガンの一刻も

早い処置が必要といわれ、5日間ぶっ続けの抗がん剤

治療に挑戦しました。

 

ガンに対する闘争心が湧かずに、気持が深く沈み込んで

いた時に、「精神腫瘍科」の存在があって、その診療科

で診てもらって、何とか平静を保つことができたと

言っています。

 

妹が「肺がん」の手術をした時もそうでした。

心療内科」の先生には大変お世話になりました。

 

抗がん剤治療をして、一回目の後の検査結果で、ガン

が半分になっていたのです。

体力の回復を待って、2回目の抗がん剤治療をした結果

半分になったガンがまた半分になりました。

 

それでも医師は今度は

「1ヶ月単位で人生設計を立てるように」

と言われたそうです。

 

なかにし礼さん自身も、夏まではもたないだろうと

覚悟を決めていたそうです。

 

ところが、3回目の抗がん剤治療でもまたガンが

半分になって、4回目の1週間後に検査をしたら、

CTでもPET-CTでもガンが全く見当たらなくなって

いました。

 

現在は、陽子線治療と抗がん剤治療を平行して

受けているそうです。

 

「私は『ものを書く』という行為を通じて、生きる

エネルギーをかきたてられ、生きる意欲が湧いて

きていると、日々実感しています。


死から脱出しようとする時、人間は最大限の能力を

発揮するという。

危機の時こそ、積極性をかきたて生きることが、

きっと幸運を呼び込むことと信じます。」

 

なかにし礼さん素晴らしいです。

どうかこれからも頑張って下さい!!

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。        篠原香代