kayoとdackyの日々の出来事と旬な話題

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【1964年・東京五輪】体操女子で3個の金メダルを獲得・「チャフラフスカ」さん死去!

こんばんは~  篠原です。

皆さまは、52年前・1964年の

東京五輪で活躍されたチェコ

ベラ・チャフラフスカさんをご存じ

でしょうか?

 

74歳の生涯でした。今の平均寿命から

すると、若すぎる死でした。

 

チャフラフスカさんは、チェコプラハ

出身の元体操選手です。

1964年の東京五輪では、体操女子で

個人総合・跳馬平均台の3種目で、

金メダルを獲得しました。

 

4年後のメキシコ五輪でも、個人総合で

連覇を達成し、4個の金メダルを獲得して

オリンピックで合わせて

11個の金メダルを獲得しました。

 

実力と魅力的な美しい容姿から

「東京の恋人」と呼ばれ、たくさんの

ファンに親しまれました。

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メキシコ五輪を目前に控えた1968年

8月、強化合宿の真最中でした。

ソ連軍の戦車が当時のチェコスロバキア

侵攻しました。

 

民主化運動「プラハの春」を支持する

「二千語宣言」に署名していた

チャフラフスカさんに危険が迫っていました。

人気のない山奥に逃げ、枯れ木を練習台に

して練習を続けました。

 

それでもメキシコ五輪に乗り込み、ソ連

ライバル選手を破って再び栄冠を勝ち取った

のでした。

 

そして、凱旋帰国したチャフラフスカさんに

当局は「二千五宣言」の撤回を迫りました。

断固として拒否をしたため、一切の仕事を

追われ、生活にも困窮した状態が続きました。

 

ビロード革命」で復権して、大統領顧問や

チェコ五輪委員会会長などを務めた

チャフラフスカさんですが、今度は

長男に殴打された元夫が死亡するという

悲劇がおき、また試練が襲ったのです。

 

うつ病を発症してしまい14年間もの間、

こころを閉ざす日々が続きました。

 

その後元気を取り戻したチャフラフスカさんは

日本について

「日本はあの悲惨な対戦から19年後、

東京五輪を立派に開催して、自分たちの

底力を世界に見せつけました。」

「日本人の生き方が、私の人生に大きな力

を与えてくれた。」

と語っていたそうです。

 

チャフラフスカさんにとって日本は

「第2の祖国」でした。

 

東日本大震災が発生したときには、被災地を

訪れて、子どもたちをチェコに招く旅行を

企画して実現させました。

 

4年後の2020年・東京五輪には招待する

という企画があったといいます。

せめて4年後の東京五輪まで・・・

チャフラフスカさんのメールアドレスには

「サクラ」と「1964」の文字が使われて

いたそうです。

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「私は、何か行動しようとするとき、

日本人だったらどうするか、日本人にどう

思われるかとよく考えるのです。

私は自分が想像する日本人の心を鏡に

しているのです」

という話をしたそうです。

 

彼女と接してきた日本人たちに感謝を

したいと思うし、日本人の心を深く理解して、

半世紀も愛し続けてくれたチャフラフスカさん

の心にも敬意を表したいと思います。

 

膵臓ガンでした。

1年4カ月に及ぶ闘病生活の末、

「体操の名花」「東京の恋人」は

静かに息を引き取りました。

 

ご冥福をお祈り申し上げます!

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。   篠原香代