kayoとdackyの日々の出来事と旬な話題

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アニソン歌手・和田光司の上咽頭がんで死去と小西博之の生存率2%の腎臓がんからの復帰!

こんばんは~  篠原です。

1999年にテレビアニメ

デジモンアドベンチャー」の主題歌

「Butter-Fly」でメジャー

デビューした和田光司さんはご存じ

ですか ?

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また若い命が失われました。

享年42歳でした。

 

2003年、29歳の時上咽頭がん

患いました。

活動を休止していましたが、2005年

に復帰しました。

2011年にガンが再発しましたが、

2年後の2013年には再び歌の世界

に戻りました。

 

「不死鳥のアニソンシンガー」

と呼ばれていました。が、

「今月3日に永眠しました」と所属事務所

から発表がありました。

まだまだ若い42歳。

残念です。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

小西博之さんが、

「ヨソで言わんとい亭~ココだけの話

が聞けるマル秘料亭~」に7日に出演

して、末期の腎臓がんと診断されていた

ことを告白しました。

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皆さまはこのことをご存じでしたか ?

私は、腎臓がんを患ったということは

知っていましたが、末期ということは

初耳でした。

 

腫瘍の大きさは縦20㎝、横13㎝

医師からは「日本の腎臓がん史上、

腫瘍の大きさが5本の指に入る」と

告げられたそうです。

 

生存率は2%だったそうです。

末期の腎臓がんと診断されたのは、

2004年、45歳の時でした。

 

多忙のため、定期健診検診も受けずに

いましたが、体に良いことをしようと

思い立ち、禁煙をしました。

禁煙の結果15Kも太ってしまい、

ダイエットに取り組み、体重が減っても

病気で痩せているのかどうか、わから

ない状況だったということです。

 

2004年の8月の終わりに、アフリカ

にロケにいきました。

帰国後異変を感じたのは、10月でした。

ビールの味がわからなくなったそうです。

小西さんが、振り返って

「12月になって人間の3大欲求がなく

なった。まず食欲がなくなり、次に性欲

がなくなり、睡眠欲がなくなるんですよ」

と話しました。

 

それでも病院には行きませんでした。

12月23日に血尿が出てようやく病院

に行きました。

 

腎臓がんと診断され医師にステージを

聞くと「ステージはない」

と言われ、末期中の末期だったことを

告げられて、余命を聞くと「即死」

言われたそうです。

 

大学病院で精密検査を受けて、手術の

当日、開腹したところ医師から

「リンパが腫れているから、全身に

がん細胞がいってるでしょうから、

絶対無理です」と助かる見込みがない

ことを家族に告げたそうです。

 

1週間後の検査で医師が「がん細胞が

見受けられません」と診断しました。

健康状態を示す数値も正常値内になって、

医師は驚異の回復力に驚き「宇宙人」と

感心されたそうです。

 

それから5年後、検診時に医師が「完治」

と告げました。

小西さんは「先生が号泣して・・

僕も泣きながら・・」と振り返り、改めて

生存率が何パーセントだったのか尋ねると

「2%なかった。よく助かってくれた」

話したそうです。

 

小西博之

1959年生まれ・56歳

45歳の時、腎臓がんの大手術をしたので、

今年で11年経過しました。

 

素晴らしいです。

末期がんと診断されただけで、普通の

人ならそれだけで、精神的にも

身体自体も負けてしまいます。

 

もちろんご本人も、その時は涙が

枯れるほど泣いたことと思います。

いつまでも、その強靭な精神で

これからも元気でいて欲しいと思います。

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。   篠原香代