kayoとdackyの日々の出来事と旬な話題

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天才・「羽生結弦」を育てた両親と羽生家の教育方針!

こんばんは~  篠原です。

皆さま、先日のフィギュアスケート

NHK杯はご覧になりましたか?

 

私は、ショートプログラムから翌日の

フリープログラムをテレビにくぎ付け

で見ていました。

素晴らしかった!!フリーの演技。

世界最高得点322.40

 

ずっと以前から、私は羽生結弦

両親のことが気になっていました。

私だけではないと思うのですが、一度も

テレビなどに顔を出したことがないので、

「もしかして、3.11の震災で亡くなって

しまったのだろうか?」なんて考えたり

していました。

 

羽生結弦の両親は控えめで謙虚
インタビューに答えたこともなければ、
表舞台に登場したことも一度もありません。
 
「逆境に立ち向かう強い精神力・誰に対しても
礼儀正しい振る舞い」
自分の子供もあんな風に育って欲しいと
世の中のすべての母親たちが思うことだと
思います。

 

両親が表舞台に出ないのは、頑張っているのは

本人であり、親は関係ないという考えで、五輪

で金メダルを獲得したときも、「私たちが

しゃしゃり出て話すことはない」と言い、

控えめで多くを語らない、東北人の気質を

持った両親だそうです。

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羽生結弦が育ったのは、仙台市泉区で両親と

姉の4人家族です。

父は中学校の教頭、母は専業主婦、4歳上の姉は

ホームリンクだった、「アイスリンク仙台」の

職員として働いています。

 

フィギュアは靴や衣装、リンク代などで、すごく

お金のかかるスポーツです。

羽生家は父親が公務員で貧しくはないけれど、

カネ持ちでもなく、3年前までは結弦の衣装は

母親が作っていたそうです。

 

結弦は生まれつきの「喘息」という病気を

背負っていて、母親が喘息を心配して何とか

直してやりたいという一心で、ホコリを吸い込む

可能性の少ない屋内でのスケートをやらせた

そうです。

 

羽生家の教育方針

あるときは密接で、あるときは突き放すという

教育で、子供にやらせるのではなく、子供が

関心を持ったことに可能な限り協力する。

子供の「自主性」を尊重するのが、羽生家

の教育方針です。

 

父親は常日頃「スケートだけでなく勉強も

しなければダメだ」といっていたようで、実際

結弦は勉強もスケートもきちんと両立していました。

 

高校3年生の2012年の5月、さらなる

レベルアップを目指して、ブライアン・オーサー

師事するために、カナダのトロントに母親と二人で

移住しました。

 

知人が言う

「本人も立派ですが、両親が立派な人です。

一番立派なのは『感謝の気持ちを忘れないこと』

感謝の姿勢は両親が結弦君に言葉で教えたわけ

ではなく、両親の背中を見て自然と身に

ついたのでしょう」

 

決して驕らず、でも信念は譲らない。

そんな羽生結弦をつくったのは、決して

表舞台に出てくることのない、両親の教え

だったのだと思います。

 

これからも、表舞台に出ることのない両親

の考えは変わらないと思います。

謙虚で、あくまで控えめな両親を私たちは

静かに見守っていきたいと思います。

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。   篠原香代