kayoとdackyの日々の出来事と旬な話題

日々の出来事や愛犬dacky君のこと、旬の話題を書いていきます。

世界遺産「マチュピチュ」の初代村長は日本人の「野内与吉」氏!

こんばんは~  篠原です。

皆さまは、世界遺産マチュピチュ

ご存知ですか?

そしてマチュピチュの初代村長が日本人だったと

いうことをご存知でしょうか?

 

標高2430mにある、

南米ペルーの世界遺産マチュピチュ

f:id:kayo0130:20151028164656p:plain

 

麓にあるマチュピチュ村を創ったのは、人生を

村に捧げた日本人の「野内与吉」氏でした。

 

今では年間200万人もの人が訪れている、

謎に包まれた「空中都市」マチュピチュ遺跡は、

一生に一度は訪れてみたいと思う人も多いと思います。

 

初代村長となった「野内与吉」氏の生涯

f:id:kayo0130:20151028183829p:plain

1895年生まれ

福島県安達郡大玉村に誕生しました。

1917年 契約移民としてペルーに渡り、農園で

働きましたが、1年で辞めて、アメリカ・ブラジル・

ボリビアなどを周り

1923年 再びペルーの土地に戻り、ペルー国鉄

に勤務して、電車の運行や線路拡大工事に

携わりました。

1929年 クスコ~マチュピチュ間の線路を

完成させました。その後マチュピチュで暮らす

ようになりました。

現地女性と結婚し、家庭を築いた与吉氏は、

日本人の勤勉さと正直さで、村のために尽くし

ました。

1935年 村で初めての本格的な木造建築

ホテル「ホテル・ノウチ」が建てられました。

完成したホテルを村のため無償で提供して

1階は郵便局、交番として2階は裁判所や

村長室として利用されました。

1939年~1941年にはマチュピチュ村の

最高責任者である行政官を務めました。

1941年 マチュピチュ村は正式な村となって

「初代村長」となりました。

1958年 三笠宮殿下がマチュピチュ遺跡を

訪れた際、野内氏の長女が花束を贈呈して、その

新聞記事を福島の家族が目にして、始めて野内氏

の消息を知りました。

1968年 58年振りに福島県大玉村に帰郷

しました。その時両親は他界していましたが、

兄弟や親戚たちが、日本に戻るよう説得しましたが、

帰りを待つ11人の子供たちのため、戻りました。

その2か月後

1969年8月29日に74歳で生涯を終えました。

 

マチュピチュ大玉村

が友好都市協定を結びました。マチュピチュ村が、

友好都市協定を結んだのは大玉村が世界で初めての

ことだそうです。

式典が世界遺産マチュピチュで、日本時間10月

27日の未明に行われました。

福島県大玉村マチュピチュ村合わせて100人余り

が出席して、「友好都市」の協定書を交わしました。

 

友好の架け橋となった、「野内与吉」氏がいたから

こそと、改めて偉大さを感じます。

 

それにしても、日本からマチュピチュに行くには

片道4日間かかるそうです。

遠いですね~!!

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。   篠原香代