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五輪三連覇の「野村忠弘」引退!ひとりの柔道家が長い戦いを終え、静かに畳を降りた!

こんばんは~      篠原です。

柔道家の野村忠弘選手は、皆さまもよく

ご存知と思います。

 

8月29日、兵庫ベイコム総合体育館で

行われた、全日本実業団選手権(男子60k級)

に出場した野村選手は3回戦で敗退して

引退を表明しました。

 

心の限界を迎えたのではなく、

体の限界を迎えたから引退すると語った

野村選手は1974年10月生まれ、40歳

 

 

1996年 アトランタ五輪 金メダル

2000年 シドニー五輪  金メダル

2004年 アテネ五輪   金メダル

 

各競技とも、若い選手が世界の舞台で躍動しています。

北京で行われていた、世界陸上では16歳の

サニブラウン・ハキーム選手が世界のスプリンターを

相手に活躍しました。

 

日本で開催中の野球U18ワールドカップでは、

早稲田実業の高校1年生、16歳の清宮幸太郎

選手が4番で戦っています。

 

女子バレーも、若い選手がリオデジャネイロ五輪

出場権を賭けてW杯を戦っています。

 

こうして若い選手達が活躍する中、野村選手は

2012年のロンドン五輪を目指しながら

大学院で、博士号の勉強を続けながらも、畳に

上がることを諦めませんでした。

 

最後に「肩車」で一本負けして

「豪快に勝って、豪快に負けて、

そういう自分の柔道だったのかな」

「長く酷使した体の限界。こればかりは、

どうしようもない」

こう言って、畳を降りたのでした。

 

野村選手がいつも冗談にして「ヤワラちゃん

のことを口にします。

アトランタで金メダルを獲った時、新聞に

「田村まさかの銀、野村まさかの金」

と書かれたそうです。

 

五輪ではいつも、ヤワラちゃんの女子48キロ級と

男子60キロ級の試合が、同じ日に行われるため、

野村選手の活躍はいつもヤワラちゃんの報道の陰に

かすんでしまったのです。

 

その報道の差が、野村選手の闘志に火を付けていたの

かもしれませんね。

それでも先日の引退会見の場では

ヤワラちゃんと仲いいっすよ」と笑顔で話して

いました。

 

3歳から取り組んできた柔道について

「自分の人生と言えます」と言いきり、

最軽量級の60キロで戦い続けた苦労については

アテネのころで62、63キロで今は65.5キロ

くらい。太ったというより、増えたのは筋肉量。

体脂肪率は7%くらいで、変わっていない。そこから

40歳で5キロ絞るのはきつい」と苦笑いしました。

 

「40歳最後の大会で豪快で一本勝ちできたっていうのは

自分の中でもすごく誇りに思いますし、逆に負けた試合

っていうのも豪快に一本負けして、自分の中でも

すっきりいたしました。」

「負けた瞬間、投げられた瞬間というのは数秒間、

畳に寝そべってすぐに立つことができなかったん

ですけども、その瞬間っていうのは、まず投げられた

瞬間、あ、やられた、うまくやられた、

豪快に投げられたな。そういうものが頭をよぎり、

その次に、あ、本当にこれで自分の戦い、

真剣勝負の戦いが終わったんだなと

少しせつないというか、さみしい気持ちになりました」

記者会見での抜粋です。

 

野村選手おつかれさまでした。

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。        篠原香代