kayoとdackyの日々の出来事と旬な話題

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涙のメジャー初制覇 「ジェイソン・デイ」のサクセスストーリー

こんばんは~      篠原です。

皆さまもご存知のとおり「全米プロゴルフ選手権」

で優勝したのは、「ジェイソン・デイ」でした。

 

私も応援していました。もちろん日本の松山英樹・岩田寛

も応援していましたが・・・

 

ジェイソン・デイにとって、惜敗の歴史だった

メジャー競技がついに栄光の舞台になりました。

 

おめでとうございます !!

J.デイが通算20アンダーでメジャー初制覇!「プレッシャーから解放された」 J.スピースは2位終戦も世界ランクNo.1に

少年の頃、ゴルフボールが少なくなると、マウンテンバイクで

自宅から30分ほどのゴルフ場に行きました。

下着1枚になり、フェアウェイのそばにある、小さくて浅い池を

裸足で歩きました。

両手に持ったゴルフボールよりヒルの方がさらに多く身体に

付いていたそうです。

 

こうして「クイーンズランド」のゴルフ狂として

ティーンズエイジャーになる前の少年期を過ごしました。

 

ディがずっと頭の中に描いていたのは

「世界ランク1位のプレイヤーになること」

でした。

 

努力は公平に報われることを信じ、ディはゴルフに

全てを注ぎました。

 

 

3歳の時、父親が仕事場から古ぼけた3番ウッドを

家に持ち帰り、ディに与えました。

ディはすぐにそれで、テニスボールを庭の端まで、飛ばして

みせました。

天才でした。

 

9歳の時、質屋で最初のクラブセットを買ってもらった

時の事を「最高の日だった」と振り返っています。

 

その一方で、ディがゴルフをやめて「ワル」になろうとした

時期がありました。

それは、父親が53歳の若さで「胃がん」のためにこの世を

去った時でした。

 

12歳の頃は学校に行ったり、行かなかったりでケンカ三昧。

パーティに行ってみんなが飲んでいるから、一緒に酒を飲む

毎日だったと言っています。

 

 

それでもゴルフはやめられなかった。

全米プロゴルフ選手権最終日最終18番ホール

 

ファーストパットの後から、もう涙を抑えきれませんでした。

これまで、メジャータイトルをあと少しのところで逃し

続けてきたことで、それらが脳裏によみがえり、感情的に

なってしまったのだと思います。

スピースのバーディパットを挟み、ウイニングパットを

カップインさせて、祝福の完成に包まれる中、抱き合った

キャディのコリン・スワットン氏の肩で、再び嗚咽しました。

 

メジャー初優勝を決めたJ.デイ。18番グ

 

ディのメジャー惜敗の過去をたどると、2011年は

「マスターズ」と「全米オープン」で2位。

 

2013年は「マスターズ」で3位。「全米オープン」で2位。

 

そして今年「全米オープン」と「全英オープン」の最終日を

いずれも首位で迎えながら、それぞれ9位と4位で終わっています。

 

デイは複数のメンタルコーチと契約し、いろいろな手法を

試しながら、精神面の向上に積極的に努めてきました。

 

その上で、これまで繰り返してきて惜敗こそが、精神面の

成長にとって「最も大きなもの」だったと強調しています。

 

「精神的な準備を進める上でもっとも大きなことは、

失敗経験を重ねることなんだ。

失敗を否定せず糧としてとらえる。それこそがメンタルを

強くする最たるものだと思うんだ」

「今年の全英オープン全米オープンオーガスタもそうだ。

これらの経験が結果に生きると思うから前に進める。

そして今週それが起きたんだ」

 

 

メジャーでは初となる通算20アンダーに乗せ、

待望のメジャー初優勝に記録更新という花を添えたデイ。

同組だったスペースは「まるで過去にメジャーを7、8勝

してきているかのようなプレイだった」と話しています。

失敗の痛みを強さへと変えてきたディの信念は

素晴らしいものがありました。

 

 

日本勢は岩田寛が1つスコアを伸ばして、日本人トップの

通算7アンダー21位タイと健闘しました。

松山英樹は2つスコアを落として、通算3アンダーの37位タイ

に終わりました。

小田孔明は通算6オーバーで72位タイで大会を終えています。

 

読んで頂きありがとうございます。

失礼いたします。        篠原香代